昭和歌謡裏話、こぼれ話

田勢康弘の昭和歌謡裏話、こぼれ話/ 「出会えた人出会えなかった人 石原裕次郎」


「世は歌につれ」/歌謡曲ルネサンス

54.出会えた人出会えなかった人 石原裕次郎

会ってみたかった人はたくさんいるが、まずは文句なしに石原裕次郎である。会えはしなかったけれど、小樽の裕次郎記念館には4、5回行っている。札幌で仕事があるときはそのあと必ず汽車で小樽へ行き、小樽運河で何かを食べて、裕次郎記念館へ行く。全国を旅芸人のように回って歩くのが仕事の僕にとっては、小樽の定番コースになっている。

裕次郎は僕より10歳上。美智子皇后と同じ歳だ。裕次郎が華々しく銀幕デビューしたころ、こちらは物心つき始めた少年期で、あこがれの対象はこの人以外にはいなかった。歌の良し悪し、上手い下手などという基準がまったく当てはまらないぐらい石原裕次郎は別格官幣大社のような存在だった。「狂った果実」(作詞:石原慎太郎作曲:佐藤勝)「夏の陽を浴びて 潮風に揺れる花々よ 草陰に結び 熟れてゆく赤い実よ」

兄、石原慎太郎の芥川賞受賞小説の映画「太陽の季節」に端役で出た裕次郎は、次作「狂った果実」で主役をつとめ、主題歌を歌う。聞き慣れたどの歌手とも違う声、張り上げないソフトな歌い方は、初夏の湘南の潮風のようだった。「嵐を呼ぶ男」、「風速四十㍍」などという映画を見に行くと、映画館から出てくる若者がみな裕次郎のような歩き方をしているのが面白かった。かくいう僕も股下90センチの裕次郎きどりで歩いたものだった。

裕次郎の歌は好きだから聴くというのではなく、10歳下の僕の世代にとっては、青春を生きるということそのものが石原裕次郎だったのである。「赤いハンカチ」(作詞:萩原四朗作曲:上原賢六)「アカシアの 花の下で あの娘が窃(そ)っと 瞼を拭いた 赤いハンカチよ」は昭和37年の大ヒット曲だから、僕は高校2年生。なぜかよくこの歌をくちずさんだ。このころすでに僕は「島倉千代子後援会」の会員だったが、裕次郎をはじめたくさんの「流行歌」を聴いていた。裕次郎が歌のうまい人だと思ったことはまったくなかった。いつまでも素人のような歌い方だな、と思っていた。実は大変歌のうまい人だったのだと知ったのはごく最近のことだったのである。

神奈川県の海老名市のとあるカラオケクラブで、テイチクのプロデユーサーで、「裕次郎といえばこの人」というGさんと一緒になった。みんながひと通り十八番を歌い、残るGさんの番になったとき、Gさんは裕次郎の歌ならなんでも、なにがいい?と言った。すぐに僕は「北の旅人」(作詞:山口洋子作曲:弦哲也)「たどり着いたら岬のはずれ 赤い灯がつく ぽつりとひとつ」を注文した。マイクを持ったGさんは、仕草も姿形も裕次郎に見えてくる。
「たどり着いたら」の冒頭部分ですでに裕次郎と同じだった。似ているという範囲を超えている。同じとしかいいようがない。どうして?と訝る僕に同席した人々が説明してくれた。「裕次郎はものすごく忙しいから、新曲を覚えるための時間がない。そこで新曲ができるとGさんが歌を覚えて裕次郎の前で歌う。何回か歌うと裕次郎は覚えが早いからその通り歌えるようになる。だから、裕次郎がGさんに似ているんだよ」ということらしい。「北の旅人」も病気療養中の裕次郎がハワイで録音したもので2回ほど聴いて3回目には本番録音だったという。このとき以外に裕次郎は「北の旅人」を歌っていない。

裕次郎の歌の人気ランキングを見ると
①北の旅人
②赤いハンカチ
③夜霧よ今夜も有難う
④ブランデーグラス
⑤恋の町札幌
⑥二人の世界
⑦夜霧の慕情
⑧粋な別れ
⑨泣かせるぜ
⑩わが人生に悔いなし

すべて知っていることにいまさらのように驚いてしまう。それほど熱心な裕次郎ファンというわけでもない僕がこの程度だから、ファンはすごいだろう。ここに入っていない歌、たとえば「残雪」(作詞:渋谷郁夫作曲:久慈ひろし)「月影に 残雪さえて山は静かに眠る」は学生時代スキーをしていたので、仲間とよく歌った。あとは八代亜紀とのデュエット曲「別れの夜明け」(作詞:池田充男作曲:伊藤雪男)「おまえは死ぬほど つくしてくれた あなたは誰より 愛してくれた」も好きだ。

裕次郎の歌をカラオケで歌う人はたくさんいる。カラオケ大会の審査員をして、たくさんの人が歌う裕次郎を聴いてきた。だけど、うまいな、と思える人にお目にかからない。あるいはプロの歌手でもテレビで「夜霧よ今夜も有難う」とか「北の旅人」などを歌うが、うまいなと思わされたことがまったくない。
これはどうしたわけだろう。裕次郎の域には到底及ばないのだ。裕次郎は譜面が読めるらしい。そのせいか音程をはずさない。録音する前にブランデーを飲むらしいが、声もまた高級なブランデーのようだ。ほかの人が歌ってもブランデーにならず、安い日本酒のようにしかならない。「どうだ、うまいだろう」というところのまったくない歌い方である。誰かに聴かせようというのでもない、ただ歌いたいから歌う、そういうように見える。僕自身がテレビの報道番組で作曲家弦哲也のギター伴奏で生で「北の旅人」を歌うはめになって、改めて裕次郎の歌のうまさを実感した。あんな風に語るようには歌えない。

新聞社の政治記者の駆け出しのころ参議院担当になり、当選したばかりの参議院議員の石原慎太郎番になった。裕次郎よりも、もっとスタイルがいいのではないかと思うぐらい格好良かった。話を聴いていても、ちょっとした表情に裕次郎との共通点を探している自分がいた。その類の質問を彼は好まなかった。小樽の裕次郎記念館で幼少のころからの慎太郎裕次郎兄弟のさまざまな資料、絵や作文などを見ているとこの二人は性格的には似ていないのではないかと気がつく。裕次郎は絵も、それから書道の字もうまい。慎太郎の字は担当編集者しかわからないといわれるほどだ。たぶん、裕次郎のほうが性格的には優しさにあふれているのではないかと思う。
裕次郎で忘れられないのは芸能生活30周年のお祝いのパーティーで松田聖子と歌った「ハワイアンウエディングソング」である。初め裕次郎が歌い、途中、聖子が歌う。感極まった聖子は泣き出して歌えなくなる。それを裕次郎がやさしく抱きかかえながら、最後は2人で「アイラブユー」。これはいまでもユーチューブで映像を見ることができる。このときの裕次郎の表情にはこれ以上ないような優しさがあふれている。

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