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「世は歌につれ」/歌謡曲ルネサンス
46.出会えた人出会えなかった人 吉幾三
名前を名乗って正式に会ったことはない。しかしながら、かなりのことは知っているし歌も聴いている。なんといっても「俺はぜったい!プレスリー」(作詞:やまだあつし 作曲:山鉄平)「俺は田舎のプレスリー百姓のせがれ 生まれ 青森五所川原」と「俺ら東京さ行くだ」(作詞作曲:吉幾三)「テレビも無ェ ラジオも無ェ 自動車もそれほど走って無ェ」である。
この二つの歌には度肝を抜かれた。演歌では当時めずらしいシンガーソングライターである(いまは小田純平などがいる)。
僕は小学校入学時に青森県弘前市、小学校高学年で青森市郊外と、2度に渡って都合5年ほど、青森県に住んでいるので、津軽弁の理解には困らない。昔、原子力船むつの母港をめぐって青森の漁民大会を取材したとき、漁師の津軽弁がわからなくて往生している東京のメディアの連中に通訳してあげたこともある。
吉幾三のいまの地位を決めたのは何と言っても「雪国」(作詞作曲:吉幾三)「好きよ あなた いまでも いまでも 暦はもう少しで 今年も終わりですね」だろう。これまでの演歌にない歌詞とメロディー、吉幾三の独自の世界を築いた。
その吉幾三がNHKホールで歌うとき、舞台の袖で見ていたことがある。
付き人が灰皿を持って立っている。前奏が鳴り出す直前まで、煙草を何度も吸い込んでいた。緊張感が伝わってきた。
この吉幾三と、郷里に建てた「ホワイトハウス」という名の巨大な洋館。このギャップが吉幾三なのだろう。津軽弁を広めたという意味では功労者の一人である。酒をまったく飲めないぼくは「酒よ」(作詞作曲:吉幾三)「涙にはいくつもの思い出がある 心にもいくつかの傷もある」を聴くと、飲んでみたくなるから不思議だ。