2016年4月25日大会概要発表記者会見の時に行われた、課題曲『花一花』の制作関係者によるトークセッション。
この曲に対する関係者お一人お一人の「思い」が伝わってきます。
動画と記事でご覧ください。
有近真澄氏、作曲家 美樹克彦、編曲家 若草 恵、歌手 八代亜紀、田勢康弘代表
司会:繁田美貴(テレビ東京アナウンサー)
日にち:2016年4月25日 大会概要発表記者会見
場所:日本プレスセンター10階 プレスセンターホール (東京都千代田区)
司会
順番にお話し伺って参ります。
まずは、美樹さん、星野さんに作詞を依頼されたということですが、VTRの中にもありましたが、死ぬまでに一度しか咲かない花が本当にあるのでしょうか?
作曲家/美樹克彦(以下、美樹)
22~3年前になると思うんですけど、花の詳しく載ってる本を見てましたら、「高山一花(こうざんいちげ)」という花がありまして、それで初めて僕も花を「げ」と読むのを知って。
それで「花」と書いて「一」と書いて「花」と書いて、先生に「このタイトル(『花一花』)で歌を書いてくれませんか?」と言ったら、一番初め先生が仰ったのは「これはなんて読むの?」って言われて、それで「はないちげ」と読みますと。
何か意味あるの?と言われて、その花の本を渡して、「先生この高山一花というこの花は一生に一度しか花を咲かせないんですよ」って先生に伝えましたら、僕はいつも先生とそういうやりとりなんですけど、「ヒントありがとう」というお話をいただいて、3週間くらい経って家のポストに、先生の字で「花一花」っていう詞が届きました。
先生の詞に曲をつけるというのは、まだその頃はもう本当にあのぉ大事にテーブルの上に置いて、多分これは3か月4か月テーブルの上でずっと、なかなか曲をつけられなくて、やっと(曲を)つけた時、先生に電話して話しましたら、「大事にしようね」って言われてそのままずっと来たんです。
作詞家 美樹克彦さん
司会
そのまま来て、星野さんはこの曲が世に出る前にお亡くなりになってしまいましたが、今どうでしょうか、世に出ていくことで、また星野さんとは何かお話しができますかね?
美樹
そうですね。きっかけは田勢さんをある方を通して紹介されて、いろんな話を普通にお話していましたら、星野先生のことで、「星野先生とはすごく仲が良かったよ」という話をお聞きして。
僕は星野先生の末弟ですけど、一緒に書いた曲で「一曲だけ世に出したいなあと思ってるのがあります」って田勢さんに言いましたら、「聞かせてください」と。
すぐにお送りしましたら、「これはなんとか世に出したいですね」というのが、僕と田勢さんとの始まりで、今現在ここに立っているという訳でございます。
司会
ありがとうございます。そしてその歌を八代さんが歌われたわけですが、八代さんは星野作品は初めてとのことですけれども、この歌の印象はいかがでしたか?
歌手/八代亜紀(以下、八代)
詞をいただいた時に、詞とメロもあったんですけども、メロの感じも切なかったんですけども、詞を見ました時にね、トゲをたくさん持ってて、そしてそのトゲはいろんな人が来てもそのトゲで身を守ってたという、愛する人が触った時にトゲが全部落ちて、あなたのためにこの花が咲いたんだというところがもう切なくて切なくてね。
そういう思いというのは今すごく失われているというか、でもいつの日もやっぱり愛する人に対する思いというのは変わらないんだよ、ということをすごく感じますね。
田勢さん、よく八代に(この歌を)歌わせようと思っていただきましたねぇ っていう感じで、ほんと私も嬉しくて。とっても素敵で、車に毎日積んで、みんなに聴かせてます。
良い歌ですほんと。女性は身を守るんですよトゲで普通は。でも愛する人にはトゲがポロポロ落ちるの。わかります? 男性の皆さん。 そうなの、これって凄いことだと思います。
歌手 八代亜紀さん
司会
そういうことも考えられて、レコーディングで背筋がゾクゾクしたのが初めてだと?
八代
ゾクゾクしましたねぇ。詞とメロとアレンジと全部あってるんですよね。それでね面白いことがあって、今、八代は、秘密ですけど、うん十歳なんですけども、この声で歌いました。
そしたら全員、「八代さんお願いがあります」っていうのよ、「何ですか?」「もっと若い声で歌ってください」って言うんですよ 失礼でしょう?(笑)
司会
失礼ですね。
八代
「わかりました」で若い声で歌ったの。そしたら「もう少し上げてください」「もう少し年齢上げていいですよ」っておっしゃったのよ。だから中間で歌ったの。それが切なくて可愛いの。(笑)
ありがとうございます。
司会
ぜひそういったところも注目して皆さんに聞いていただきたいですね。
八代
そうですね。ぜひ、ぜひ、聴いて欲しいです。
司会
ありがとうございます。そしてこの曲を編曲されたのが若草さんですが、関係者の間では編曲は若草さんでという意見が一致したと伺いました。ご自身はどう思われましたか?
編曲家/若草 恵(以下、若草)
ありがとうございます。この歌、星野先生が作詞なさったんですけど、私は、星野先生の弟子の中山大三郎、その中山大三郎が私の師匠なんです。
ですので、星野先生は私を孫弟子だといつも言っていただいて、だから今回すごく運命的なものを感じまして、雷に打たれたようなほんとに素晴らしい作品だなと思いまして。
アレンジをどうしようか、(八代亜紀さんの)事務所の方とか美樹さんとか色々お話をさせていただいて、「ケルティックにしよう!」 ケルティックというのはノルウェーとか北欧の音楽なんですけども、そのケルティックの味わいを入れてこの歌を表現できるんじゃないかなっていうことで。
カンテレっていう小さなハープのような、ケルティックの使うハープを、それとあとバイオリンにケルティックのバイオリンを使って表現させていただきました。
編曲家 若草 恵さん
司会
そのアレンジを八代さんがすごく素敵だったと先ほどおっしゃてましたけれども、八代さんの歌がのってまたさらに素敵な音楽を奏でていますね。
若草
そうですね。八代さんの歌は本当に昔から大好きで尊敬させていただいて、私の曲も歌っていただいたりしたこともあって。
本当に素晴らしい日本を代表するアーティストの方なんで、その分頑張らなきゃっていう思いがとてもいたしまして、もうほんとに「自分の一生の中で一番良い作品を作ろう!」そういう思いで作りました。
司会
ありがとうございます。そして、有近さん、今年はお父様の星野哲郎さんの七回忌の年と伺っております。
このようなタイミングでこの曲が八代さんに歌われるというのはどんなお気持ちでしょうか?
有近真澄(以下、有近)
八代さんの歌を初めて聞きました。ほんとに素晴らしくて感動いたしました。
やはり、出会いがあって新しいものが生まれるというふうにいつも生前星野が言っておりましたので、今日あるのは、なんといっても美樹先生や田勢さん、それから皆様方の情熱の賜物だと思うんですね。
それをまたひとまわり大きく、ほんとに八代さんの歌で広がったような気がして、関係者というか、家族というか、もちろん星野本人も大変喜んでると思います。
それから、この会自体がこれをきっかけに盛会になることを願っております。
答えになってましたか?(笑)
有近真澄さん
司会
お父様もきっと喜んでいらっしゃいますね。
有近
そうですね。「この歌をとっても大事にしようね」ということを生前星野も美樹先生とよく話していたと思います。
やはり、何と言っても美樹先生がこの歌を大事にしてくださったおかげだと私は思っておりますので、星野に代わって改めて美樹先生にお礼を申し上げる次第です。
司会
ありがとうございます。皆様のお力が合わさってのこの曲がこのタイミングで世に出るということになりました。
田勢さん、今、有近さんからも田勢さんの情熱もすごく大きなものがあったとお話がありましたが、この歌が仕上がっていかがでしょうか?一言お願いいたします。
田勢康弘代表
もともとはこの歌を世に出したい、どうすれば出せるか、という発想でこの大会につながったような、そんな歌なんですね。
ですから私にとっても他の歌とちょっと一味違うというか大事な歌だと思います。色々ありがとうございます。
司会
ありがとうございます。皆様いろいろなお話ありがとうございました。