子供のころから石原裕次郎とその兄慎太郎は僕にとってのスターだった。慎太郎が太陽の季節で華やかに登場してきたのは今でも覚えている。私の一回り上の申で、五木寛之と同い年だ。「20代を終わるにあたって」とかいうタイトルで、たしか文学界だったかに書いた文章を読んだ記憶がある。僕は高校生だった。
時間を経て新聞記者になった僕は参議院議員の石原担当になった。立ち居振る舞い、背広姿、言葉の鋭さ、時折り目をしばたかせる癖までもがかっこ良かった。のちに長男の伸晃に聞いたところ田園調布の石原邸に上がったことのある記者は政治家になった松島みどり(朝日)と僕だけらしい。
「果し合いに行く侍の心境」と意気込んで臨んだ記者会見に出た。スターの断末魔をこの目で見たかったからだ。さすがにこのところの心労もあっただろう。タフガイ裕次郎のお兄ちゃんは老いたなぁという印象だった。
専門家じゃないからわからない、部下に任せていた、都庁全体の責任などと逃げまくった。過去、失礼な質問に怒る姿をたくさん見たが、この日は抑えた。言質を与えず、失言もない。感情も抑制しているとろを見て、まったくボケていないと感じた。
格好良かった慎太郎を知っている身には何とも寂しい姿だった。可哀想だとも思った。言っていることがほんとなら何も知らずに知事を長いことやっていたのかと、悲しくなってきた。週2日しか都庁に来なかったというなら、メディアは何故報じなかったのか。
若いころに三島由紀夫と雑誌で対談した石原慎太郎が、ボディビルで鍛えた肉体美を自慢する三島に「僕は三島さんのような矮小な肉体ではありませんから」と答えたことがあった。この言葉はあまりにも鋭く三島に突き刺さったに違いない。それを思い出すと複雑だ。