6.かくして演歌は「北」へ向かう
打ちひしがれて「南」へ帰る歌というのは寡聞にして聞かない。「北」の歌は概して暗い。男唄なら世間を捨ててさすらいの旅に出るか、すがる女を振りきって行くか。女唄なら別れた男を追いかけて吹雪の町をさまよい歩くか。なぜ、北なのか。
ずっと昔からそうだったわけではない。演歌で北へ帰るのが定番になったのは私が調べた限り50年ほど前からだ。そもそも「北」というのはどういう漢字なのかを調べてみると面白いことが分かる。甲骨文字、中国で漢字ができた時の原型の文字では「北」はふたりの人が背中を向けて立っている形をしている。そもそも「背」という字も上に「北」が乗っている。太陽に背中を向ける方角が「北」なのである。「北」には「逃げる」という意味もある。「敗北」という熟語に「北」が使われているのも敗れて逃げるという意味合いが込められているのだろう。
*
「北」を意識させた最初の歌謡曲は何か。昭和36年の小林旭の「北帰行」(作詞作曲宇田博)だというのが定説だ。この歌はもともと旧満州の旧制旅順高校の寮歌として宇田が作ったものだ。コロムビアの名物プロデューサー演歌の竜こと馬渕玄三が小林旭に歌わせる歌を探していた。そのころ歌声喫茶で若者たちが歌っていた北帰行に目をつけ、歌詞を一部変えて小林が歌った。
〽窓は夜露に濡れて都すでに遠のく
マイトガイ小林旭が高い声で歌う北帰行は大ヒットし、映画にもなった。この歌に魂を抜かれるほど影響を受けた少年がいた。佐賀市に住むのちに売れっ子作曲家になる徳久広司である。まだ小学生だった。こういう歌を作る作曲家になりたいと、上京した徳久少年は作曲家小林亜星に弟子入りする。数多くのCMソングで有名だった小林は、丸坊主にメガネ、太鼓腹という個性あふるるキャラクターでTBSの人気ドラマ「寺内貫太郎一家」で主役の石屋の親方貫太郎を演じる。平均視聴率31%といういまでは考えられないような人気番組だ。小林は毎回弟子の徳久を連れて行った。「こいつは私の弟子で歌を作るんですよ」と脚本家の向田邦子やプロデューサーの久世光彦に紹介した。
ある時、久世は赤坂の店に徳久を呼び出した。「何か歌ってくれ」。久世や向田の前で、ギター一本で徳久は自分が作詞作曲した歌を何曲か歌った。その中の1曲が久世の心をとらえ、徳久の運命と、結果的に日本の歌謡曲の流れを変えることになった。
「北へ帰ろう」詞・曲 徳久広司
北へ帰ろう 思い出抱いて
北へ帰ろう 星降る夜に
愛しき人よ 別れても
心はひとつ 離れまい
北へ帰ろう 涙を捨てに
北へ帰ろう 星降る夜に
みとせの夢よ わが恋よ
君くれないの くちびるよ
久世はこの歌を寺内貫太郎一家パート2の挿入歌にした。久世は徳久に言う。「今夜からTBSには問い合わせが殺到する。すべての電話はこの歌についてだよ」。その通りだった。徳久は流しのトクさん役で出演した。この曲の編曲を自ら買って出た小林は「この歌は君の財産になるから大事にしな」と伝えたという。徳久に訊いた。「北帰行が頭にあった?」「もちろん」「詞は自分のこと?」「みとせの夢よ、だからね」。「この歌がなければいまの自分はありません」と当代きっての売れっ子作曲家は遠くを見つめるような眼差しでつぶやいた。
*
「北へ帰ろう」は発売が昭和50年8月。歌自体はその3年前に完成していた。この歌の発売から4カ月後、徳久の師匠の小林が作曲、阿久悠が詞を書いた「北の宿から」が発売され、レコード大賞など賞を総なめにする。阿久悠はここから「北」へ向かう。昭和52年1月「津軽海峡冬景色」を書く。青森県の経済人が「あまりに暗い歌で青森のイメージが」といぶかるほどだったが、ミリオンセラーになった。そして1カ月後、阿久悠と徳久広司のコンビで新沼謙治「ヘッドライト」発売。徳久は原則として曲が先にできてあとから詞がつくいわゆる「曲先」だ。ギターで曲を作り、阿久悠の手に渡る。「大作家に曲先なので失礼かと思ったけど、どんな詞がつくのか楽しみだった」と徳久。歌い出しでびっくり。「北へ走ろう お前と二人 北は雪どけごろだろう 春もあるだろう」
「北へ帰ろうを意識したんでは」という問いに徳久は「いまとなっては確かめようもないけどそう考えてしまうよね」。
佐賀生まれの徳久は「北の方へ行ったことがなかったので」北へ帰ろうという歌ができた。北は寒い。横殴りの吹雪、怒濤の荒波、そして白い肌のやせた女、夜汽車も船も、今じゃ「北空港」という歌があるように飛行機でさえも北へ向かうほうが歌になる。「北」を歌謡曲の王座に確実に引き上げたのは石原裕次郎の「北の旅人」だろう。作曲家の弦哲也が北海道を旅して、こういう詞を書いてほしいと作詞家の山口洋子に依頼してできた。病気でハワイに居た裕次郎がレコーディングしただけでどこでも歌ったことがない。それでも裕次郎の一番の人気曲だ。
「北の旅人」
作詞山口洋子、作曲弦哲也
たどりついたら岬のはずれ
赤い灯が点くぽつりとひとつ
いまでもあなたを待ってると
いとしいおまえの呼ぶ声が
俺の背中で潮風(かぜ)になる
夜の釧路は雨になるだろう
空でちぎれるあの汽笛さえ
泣いて別れるさい果て港
いちどはこの手に抱きしめて
泣かせてやりたい思いきり
消えぬ面影たずねびと
夜の小樽は雪が肩に舞う
(敬称略)
JASRAC 出 191181 901
※月刊「FACTA」2019年11月号より転載
FACTA online→ https://facta.co.jp/