16.「演歌最終ランナー」吉幾三 哀楽、風景、心すべて津軽
吉幾三の歌を長い間、たくさん聴いてきた。いろいろな意味で天才だと思う。吉幾三の「酔歌」(ぽつりぽつりと降り出した雨に)をステージで歌っている神野美伽に「彼は天才だろう?」と持ちかけたら、大きく頷いた。作詞も作曲も、そしてもちろん歌手としても、またときにはNHKの大河ドラマ(「青天を衝け」)にまで出る個性的な役者としても。
さまざまな収録の場などですれ違ったことはあるが、直接話をしたことはない。しかし、NHKホールの舞台の袖で、本番直前に緊張のあまりかたばこを持つ手が震えていたのを目撃したことがある。おそらく実像はかなりナイーブな人なのだ。
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「と・も・子」という歌がある。吉幾三の持つ凄さがすべて現れたのがこの歌だと思っている。前半は「とも子」なる女性の失踪について長い津軽弁の語りが入る。後半が感動的な歌になっている。
と・も・子
(語り)とも子と二人で暮らしてた頃、ハッピーでナウな日々だった。“買物に行ってきまーす”ってとも子。“行ってらっしゃい、気いつけてね”ってわたし。それっきりかれこれ一年にもなるべか。買物に行ったきり一年も帰ってこないオナゴって、どこにいるもんだべか?さみしくて、恋しくて、とも子のはいてたパンティーいつも頬ずりしてるの。たまにかぶって歩いたりしてるの。“とも子歯のキレイな人キライ、髪の毛キチンとわけてる人もキライ。男のくせにオーデコロンつけてる人大キライ!とも子どんな汚いかっこうでもいいの、心のキレイな人なら”って云うから、わたし一年ぐらいだべか、歯も磨かないで、頭の毛ぼさぼさで、風呂なんか入ったこともネェ。したらとも子“汚なすぎる!”って…とも子捜して旅に出た。盛岡、仙台、福島、山形、グルっと回った。とも子の田舎秋田だって聞いて、秋田たずねて行った。そしたらアパートの管理人が出てきて“ああその人ならたった今引っ越しましたよ”って。どこへ行ったか分かりますかアったら、“青森に行くようなこと言ってましたョ”って。青森たずねてみれば、別人でスンゴクきれいだったりして…秋の函館とも子の居る所わかった。アパートの下から、とも子俺だョーったらとも子窓から顔ベローと出して、いきなりワーッと泣いて。どうしたの?とも子大きなお腹して、食べすぎたのったら“子供できたの”って。アレー誰の子供なのってたずねれば“知らない”って、涙コひとつポロとながして…かわいそうなとも子、あれから3回目の秋だ、とも子が死んでから3回目の…3回目の秋だ…
(歌)この唄を貴方に聞かせたかった
この唄を貴方に聞いてほしかった
この海の向こうに旅に出た君に
間に合わなかった花束のかわりに(以下略)
聴き終えれば悲しいまでのラブソングだったことがわかる。それでもこの歌は謎が多い。なぜとも子は消えたのか。なぜだれかの子供を宿したのか。なぜ死んだのか。そして「わたし」はなぜにこんなにやさしいのか、この歌には方言でなければ表現できないような哀しみとやさしさがある。それも津軽弁だからまるで初代高橋竹山の津軽三味線が聞こえるようだ。私は弘前と青森に都合10年ほど住んでいたのでこの歌を津軽弁で歌える。吉幾三はその存在そのものが「津軽」なのだ。
故郷青森県五所川原市金木のホワイトハウスと呼ばれる彼の家を見に行ったことがある。いまや金木出身の太宰治の「斜陽館」と並んでホワイトハウスは観光バスの立ち寄り先だ。
「俺はぜったい!プレスリー」のコミックソングで吉幾三はスタートしたが、千昌夫に提供した「津軽平野」で演歌の世界での足場を築いた。それから「雪國」「海峡」など津軽の風景を歌に読み込み、独得のメロディーで地歩を固めてきた。そして2019年の「TSUGARU」。演歌というよりは若者が好むラップ調だ。「おめだのじこばばどしてらば。おらえのじこばばきょねんしんだね。おめだのあにさまどしてらば」子供のころ津軽で育った私でも聞き取れないところがある。津軽弁の面白さがにじみ出る歌だ。この歌で「コロナバージョン」もある。外へ出ないでコロナに打ち勝とうというラップだ。
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吉幾三はお笑い芸人としてもやっていけそうなぐらい面白い。そして良く泣く。泣きながら歌う映像をどれほどみたことか。
「その昔」(作詞喜多條忠、作曲杉本眞人)という歌が実にいい。
その昔 恋をしていた
二年暮らして女(そいつ)を捨てた
冷凍みかんと甘栗を
無理矢理その手に握らせて
へ帰す詫びにした
俺のズルさを咎(とが)めるように
発車のベルが発車のベルが
鳴り響いてた
その昔 夢を見ていた
たった一度の人生なんだ
追いつけ追い越せ負けるなと
団塊世代の明け暮れに
勝つことばかり夢にした
戦終わって夕陽が落ちりゃ
見交わす友の見交わす友の
笑顔がつらい
見交わす友の見交わす友の
笑顔が沁みる
歌謡曲、中でも演歌は消えかけたろうそくのようだ。歌謡曲の大会でも参加者が歌う歌の中にいわゆる演歌は極めて少ない。良い点数がつきにくいということもあるようだが、演歌を好む人が減っていることは間違いない。その中でたった一人で演歌を引っ張っているように見えるのが吉幾三だ。団塊の世代最後のスターを追う影はまだ見えてこない。
※月刊「FACTA」2021年7月号より転載
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