「世は歌につれ」/歌謡曲ルネサンス
1.歌つながり
8歳か9歳ぐらいだっただろうか。山形県の米沢というところに住んでいた。近所に歌のうまいお兄さんがいて、方々ののど自慢大会で優勝し、家具やら野菜やらたくさんの商品を三輪トラックに積んで戻ってきた。いまでいう追っかけのようなもので、いろいろなところで20歳くらいのこのお兄さんを追っかけた。名を新国英夫といった。
のちに僕が「島倉千代子という人生」という本を書くために調べたら、このお兄さんはコロムビアの全国歌謡コンクールで優勝し、山形英夫という歌手になり、紅白にも出場、なんと「新庄ばやし」という歌を島倉千代子とデュエットしていた。
この歌の作曲家がさいとう久。この名前は記憶にあった、私の郷里の山形県白鷹町の町民歌の作曲者だったからである。
「それは俺の叔父だ」と友人で評論家の佐高信が言った。不思議な縁だな、と思っていたが、そのうち山形出身の作曲家若草恵と知り合いになり、白鷹の中学校の校歌を一緒に作ったばかりか、全日本こころの歌謡選手権大会の課題曲の作曲、編曲、そして審査員と世話になることになった。この若草恵の本名は斉藤徹。なんとさいとう久の息子なのである。
左から 田勢康弘、山崎ハコ、若草恵 (敬称略)
白鷹中学校校歌 「友よ」
作詞 田勢 康弘
作曲 山崎 ハコ
編曲 若草 恵