「世は歌につれ」/歌謡曲ルネサンス
5.「聴く」から「歌う」へ
ぼくの世代が子供のころは、歌は「聴くもの」だった。
中学校一年のとき、島倉千代子の歌を聴き、それから六〇年近く彼女の歌を聴いてきた。頼まれて「ヨコハマ・ビギン」という中山大三郎作詞作曲のデュエット曲をコンサートで一緒に歌っていたことはあるが、人前で島倉千代子の歌を歌ったのはそれだけである。
ぼくにとって島倉千代子の歌は「歌う」ものではなく「聴く」ものだったのである。
三橋美智也にしても春日八郎にしても、自分が歌うために覚えようとする人は当時はほとんどいなかっただろう。歌うとしても鼻歌程度で、カラオケなどない時代だった。
カラオケがブームになると、歌は「歌う」ものに変わっていった。
素人にとって歌うということは「非日常」を体験することである。「三分間のドラマ」に自己陶酔するために、歌いたい歌を探す。作詞作曲、あるいは編曲者も、歌手が歌うことよりも、カラオケでたくさん歌ってもらえるような歌作りにシフトしていく。
曲の作り手の、あるいは歌い手の人生がにじみ出てくるような歌が少ないのは、そのせいもあるのではないかと思う。