「世は歌につれ」/歌謡曲ルネサンス
7.島倉千代子さま
私を「ヤス」と呼んでいた島倉千代子さんへ
「逢いたいなァあの人に」をNHKラジオの紅白で聴いたのが13歳でした。あなたは19歳、紅白初出場でしたね。1ヶ月前に父親を亡くしたばかりの私には、いまにして思えばその先の人生を変えてしまうぐらい心を揺さぶられる歌でした。もう60年近くたつんですね。
あれからずっと長い間、あなたの歌を聴き、あなたの人生を見てきました。そして思います。幸せな歌手人生でしたね。
青山葬儀所でのお葬式のとき、歌手の宮地オサムさんが泣きながら私にこう言いました。
錦糸町にあった江東劇場での島倉千代子ショーの照明係をしていた宮地さんは「千代子さんはずっとひばりさんの次の2番手と言われてきたけど、今日でひばりさんと並んだよね」。
葬儀所の前に詰めかけた3千人ものファンを見てそう言ったのです。私も、いろいろな苦難もあったけど、ファンにこれだけ愛されたのだから、幸せな人生だったなと思いました。
私にとってあなたは姉のようでもあり妹のようでもありました。ずいぶん、喧嘩もしました。いま思うと、「看板」と呼ばれ大歌手だったあなたには喧嘩する相手がまったくいなかったのですね。泣きながらも喧嘩を楽しんでいたのですね。
小金井の星野哲郎先生のところへお邪魔したとき、私も行く、と中央線で一緒に行きましたね。帽子をかぶってメガネをかけてマスクして。自分で切符を買ったことのないあなたは電車の中で一人ではしゃいでいました。せっかくわからないような格好をしてきたのに、その声でばれてしまい、たくさんの人に囲まれてしまったこともありました。
1周忌のとき、あなたのお墓の前で「からたちの小径」を作曲したみなみこうせつさんがアカペラでこの歌を歌いました。千代子さん、聞こえましたか。私もだんだんあなたが旅立った年齢に近づいてきました。もうじきそちらへ参ります。また喧嘩相手になってあげます。待っていてください。ヤス。