「世は歌につれ」/歌謡曲ルネサンス
14.校歌 その1
頼まれて校歌を作った。僕が作詞で作曲は友人のシンガーソングライター山崎ハコ。編曲はこれまた親しい作曲家若草恵。
ぼくが中学一年生の時三学期だけ在学した山形県白鷹町の「白鷹中学校」の校歌である。ぼくは「荒砥中学校」に在籍した。
そのころ町には五つ中学校があったが、やがて二つになり、このたびついに一つになり、名前もあたらしくなる。
そこで校歌のことをいろいろ調べた。
校歌をもっともたくさん作詞しているのは詩人の谷川俊太郎さんで、四〇〇曲以上になるらしい。
何曲か見たが校歌らしくない今風の素敵な詞である。
ほかには多くの作家、作曲家、歌手、あるいは校長先生などが作っている。
作詞には不思議なことに著作権がないらしい。
調べて驚いたのはいわゆる校歌というのはどうやら日本だけのもののようだ。
そういえば、米国に五年住んだが、娘たちの通った学校にも、ぼくが一年間在籍したハーバード大学にもそういうものはなかった。
明治の初めのころ文部省が必要な徳育を入れた校歌を作るよう指導したことが始まりだという。
それだけではどこの学校か判別がつきにくいので、近隣の山や川などが盛り込まれるようになったらしい。
大学の校歌などは新しいものになったりすることはあまりないが、小学校や中学校の校歌は数十年で変わることが多いようだ。
ぼくが記憶に残っている山形県米沢市の東部小学校の校歌は歌い出しが「松川の水米沢の岸を離れて五千尺」というものだった。「尺」を使わない今の時代にどうしているのかな、と思ったらまったく別の校歌ができていた。
松川(最上川の上流)