「世は歌につれ」/歌謡曲ルネサンス
51.出会えた人出会えなかった人 船村徹 その2
最近僕は思うところあってカラオケ大会などで招かれた時は「のぞみ(希望)」(作詞作曲:船村徹)「ここから出たら 母に会いたい おんなじ部屋で 眠ってみたい」を歌うことが多くなった。このごろ船村演歌の最高傑作はこの歌ではないかと感じるようになった。それまでは「都の雨に」とか「新宿情話」とかがいいなと思っていたが、岐阜笠松の女子刑務所を訪問し、その体験をもとに作詞作曲したこの歌は、一度覚えたら常に頭の中をぐるぐる回っている。
もう20年近く前、「島倉千代子という人生」(新潮社)を書くとき、船村徹にインタビューの申し込みを何回かした。しかし返事がなかった。しかたなく船村徹の書いたものを片端から読み漁った。のちに親しい仲間に加えてもらってから「どうしてインタビューに応じてくれなかったのですか」と訊いた。「えっ!そんな話いま初めて聞いたぞ」本人に伝わっていなかったのである。
僕の報道番組に出てもらったときは「都の雨に」(作詞:吉田旺作曲:船村徹)「ふるさとを思い出すたび 降りしきる雨は水色」を歌ってもらった。ちあきなおみが歌い、そのあと鳥羽一郎が歌った。ギター弾き語りで生放送で歌ってもらったが、体が震えた。後日、パーティーで会った鳥羽一郎に「おやじさんの都の雨、ありがとうございました」挨拶された。義理堅い男である。
船村徹の歌の軸はふるさと栃木だろう。船村という芸名も出身の船生村からとっている。「男の友情」(作詞:高野公男作曲:船村徹)「ゆんべも君の夢見たよ 何の変わりもないだろうね」、「母のいない故郷」(作詞:新本創子作曲:船村徹)「母のいない故郷は 風の村 無人駅に降りりゃ 子供にかえれない寂しさ」ふるさとを歌ったものに実に名曲が多い。船村がギターを手にして栃木なまりで歌えば、どんな歌手も真似できない味になる。
船村徹が毎年6月12日に行っている「歌供養」で2年ほど前、船村のギター伴奏で五木ひろしが「男の友情」を歌った。五木にとっては「全日本歌謡選手権」で10週勝ち抜いたとき、5週目に審査員の船村の目の前で歌った思い出の歌である。五木の目はうるんでいるように見えたが、このとき聴いた「男の友情」がぼくにとっては最高だった。歌はねぇ、心で歌うものですよ。これが船村の口癖で、いろいろ訊いてもあまり技術的なことは云わない。