「世は歌につれ」/歌謡曲ルネサンス
58.出会えた人出会えなかった人 阿久悠
美空ひばりが歌うような歌は書かない、と言った阿久悠の言葉は、旧態依然とした歌謡曲の世界への決別宣言のように見える。しかし、別の見方をすればひばりへの憧憬、いつか自分の詞でひばりに歌ってもらいたい、そういう思いもあったのではないか。いくつかそう思わせる事実がある。ひばりの歌を阿久悠は書いているのだ。
ひばりが病み上がりで「みだれ髪」をレコーディングしたのが1987年12月。その2ヶ月後にアルバム「不死鳥」をレコーディングしている。
4月11日、東京ドームでの歴史的コンサートに向け、再起をかけたアルバムだった。そのアルバムの中に2曲、阿久悠作詞の曲が入っている。2曲とも作曲は吉田正。
「花蕾(つぼみ)」「紅をささない くちびるは 愛の言葉に ふるえがち 抱いて語れば いいけれど それではからだが こわれそう 野暮な男が 目を伏せて 息をするのも 苦しげに 切ない思いを 通わせる 咲かぬなら 咲くまで待とう 花蕾」ともう1曲は「人」である。
「人と夢とが寄りそって なぜに儚いと読ませるの 忘れられない ひとかけら 抱いて今夜も眠るのに 儚くなんかさせないで させないで」。
1番の歌詞は「人と夢」で「儚」2番は「人と憂」で「優」3番は「人と言葉」で「信」。うまいな、と思わせる。不思議なのはビクター専属の吉田正がコロムビアの美空ひばりのために曲を書いたということだ。当時はありえないことだったが、そこにひばり再起への関係者の意気込みを感じる。
阿久悠の代表作になっている八代亜紀が歌う「舟唄」(作曲:浜圭介)は阿久悠が美空ひばりを意識して書いた詞であった。
スポーツニッポンに阿久悠が連載していた「実践的作詞講座」の美空ひばり編の教材として書かれたものである。歌にダンチョネ節を挿入したこの歌は作曲の浜圭介とともにレコード大賞を狙った渾身の曲だった。しかし大賞は取れず、翌年、八代亜紀、阿久悠、浜圭介の同じトリオで作った「雨の慕情」「心が忘れたあの人も 膝が重さを覚えてる 長い月日の膝枕」でレコード大賞に輝いた。高倉健主演の映画「STATION駅」の中で、高倉健と倍賞千恵子が居酒屋のテレビで紅白歌合戦を見ている場面で八代の舟唄が流れる。この歌を入れてくれるよう主張したのは高倉健だった。
大分県の知事を長い間つとめていた平松守彦氏の東京でのご苦労様パーティだった。たしか三井倶楽部だったと思う。料理をつまみながら一人佇んでいたら、だれかが近づいてきていきなり話しかける。
「助六鮨をどうしてご存知なんです?」
何のことやらさっぱり分からない。助六鮨?その人のやや平べったい顔をまじまじと見て驚いた。
阿久悠である。もちろん、初対面。僕がだれか確認するでもなく旧知の人に話しかけるような雰囲気で阿久悠は言った。
「静岡の鮨屋ですよ」。
それで思い出した。島倉千代子の大ファンが静岡の鮨屋にいて、その人の息子が「母が生きているうちに島倉さんに耳元で東京だョおっ母さんを歌ってもらいたい」と手紙を寄越した。
僕は自著「島倉千代子という人生」のエピソードで使えると思い、静岡まで行きましょうと島倉を誘ったのである。
鮨屋の2階、ラジカセで曲をかけ、島倉千代子は息子の母親の手を握りながら歌った。それが「助六鮨」だったのである。つまり阿久悠は僕のその本を読んだのだ。読んだということをおくびにも出さず、話しかけてくる。いま考えればこれ以上の好意はない。それにしても阿久悠はなぜ助六鮨を知っていたのか。聞けば阿久悠は静岡の海岸べりに住んでいて、この鮨屋へ何回か行ったことがあるのだという。
突然、目の前に現れ、ずっと昔からの知り合いのような雰囲気で語りかけられ、いろいろな話で意気投合した。ただ、助六鮨以外のことはまったく思い出せない。別れ際に彼はこう言った。「近く声を掛けますから、必ず会いましょう。約束しましたよ」。
それからどのぐらい待っていただろうか。次の知らせは訃報だった。
阿久悠は「美空ひばりが歌うような歌は絶対に書かない」を頑迷固陋なイデオロギーのような信念を抱き続けてきた。だからいわゆる演歌とはひと味もふた味も違う歌がたくさん生まれた。作詞の量と幅の広さでは星野哲郎なみだと思う。
ポップス系のピンクレディや山本リンダの曲などは除いて、いわゆる演歌系でもいい歌はたくさんある。独断と偏見で上げるとまず
「北の宿から」(歌:都はるみ作曲:小林亜星)「あなた変わりはないですか 日ごと寒さが募ります」
「北の螢」(歌:森進一作曲:三木たかし)「山が泣く 風が泣く 少し遅れて雪が泣く」
「津軽海峡冬景色」(歌:石川さゆり作曲:三木たかし)「上野発の夜行列車降りた時から」
「舟唄」(歌:八代亜紀作曲:浜圭介)「お酒はぬるめの燗がいい 肴(さかな)は炙ったイカでいい」
「ざんげの値打ちもない」(歌:北原ミレイ作曲:村井邦彦)「あれが二月の寒い夜 やっと十四になった頃」。
ああ、いい歌がたくさんある。
「さらば友よ」(歌:森進一作曲:猪俣公章)「この次の汽車に乗り遠くへ行くと あの人の肩を抱きあいつはいった」と
「時代おくれ」(歌:川島英五作曲:森田公一)「一日二杯の酒を飲み さかなは特にこだわらず」もいいな。
時代おくれはおそらく阿久悠がこう生きたいと考えての歌だろう。阿久悠の記念館が明治大学の駿河台にあるらしい。いつか行こう。それにしても阿久悠、満70歳で亡くなったのは早過ぎる。必ず会おうと言ったのは、僕に何かを言おうとしたのだろうか。