なぜ、こんなに著作権ってわかりにくいのか?はっきりしないのか?
著作権が大切に扱われていない、ややもすると不本意な扱いを受けてきた経緯があると前号で書いた。自分の土地や不動産権利、銀行預金などの財産であれば誰にでもその財産の価値と重要性は容易に理解できるとも書いた。
不動産屋が家を建てて売るにしても、メーカが自動車を作って売るにしても、土地の権利の証明や、さまざまな法律、法令を遵守して物を作り認可を経て販売して経済的利益を上げる。
一方、CDを作って販売する場合、一応製作者はJASRACに録音や複製許諾等、著作物を使用する届けを出して、使用料を納めてから生産販売することにはなっている。これは、きちんと守られていると信じたいが、実際作家である我々の手元にはCDがリリースされて何か月も後に、著作権関連の契約書締結依頼がレコード会社や出版社、プロダクションから届いたりすることは良くある。
やはり作家が、作品が軽く扱われていると言わざるを得ない。
理由として、やはり著作権は自然発生的に得られる「ゆるい権利」であることと、権利妥当性は親告でないと判断されないという性格から来ているのであろう。つまり親告制とは文句のある人が正さない限りは不本意な状態でも行われやすい性格の権利だということ。
公益社団法人著作権情報センター
http://www.cric.or.jp/qa/hajime/hajime8.html
特許は出願をして特許庁の審査を受けて登録となる。そして特許権侵害罪は検察が勝手に判断して逮捕・起訴できる。これは特許には公示の制度があるため、その特許権を知らずに実施してしまっても、権利侵害になってしまう。(事前に調べなかったのが悪いというのが特許法の立場)。
これに対し、著作権著作権は、権利の発生に一切の手続きを要しないで創作した時点で勝手に発生する。また公示の制度がないので、その著作物を知らずに独自に創作をした場合でも他の権利者がクレームしない限り、侵害にならない。権利を侵害されても、著作権侵害罪は親告罪なので、権利者が告発しない限り逮捕や起訴されることはない。
そもそも著作権はこうした「ゆるい権利」だということに加えて、忘れてはならないのはその著作権使用料を頂戴する相手が大手のレコード会社、プロダクションであったり出版社、放送局である。
これは作家にとって、「自分の作品をぜひ使って下さい!」と願うビッグなお客様なのである。
言い換えると、その作詞や作曲、編曲という著作物を実際に実演家し、世の中に発表してビジネスを展開するのはアーティストやそれをコントロールする団体で、どうしても力の関係でその支配下になってしまっている。
どういう状態でも、一応著作権料が出るのなら従うということである。
もちろん、めちゃくちゃ大ヒットを多発している大先生は別格として。
別段、これが悪いとは言うつもりはない。
1998年までの日本の音楽業界のように、たっぷりと仕事があり、みんなが潤っている時には素晴らしいリーダシップの構造だったのであろう。
しかし、桁違いにダウンサイジングされ、「氷河期」とも言われている昨今の音楽産業のなかで、この構造のままではますます作家は厳しい立場に追いやられる。何よりも作家のモチベーション、いや食い扶持がなくなる一方なので、時代を揺るがすような作品や、キラキラした音楽の誕生が大きく阻害されてしまうことは誰にもわかることではないか。
これからは、作家一人一人が自分のビジネスモデルをどこに置くか、あるいはどこと、どれのミックスモードで保険を掛けるかなどオーナシップを持って仕事をする時代のような気がする。