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「あのAさんの歌、どこがどういう風にうまかったのでしょうか?」
久しぶりにカラオケ大会の審査員をやった。その打ち上げパーティの席での話である。
ある上位入賞者の男性からそう質問された。仮にこの方をBさんとしよう。
Aさんは優勝した「カラオケチャンピオン」である。Bさんからすれば、自分の方が彼よりうまいとは言わないものの、負けたとは思いたくない様子である。よくある質問で、なかなか答えようのない難しい質問である。上位数人は本当に甲乙つけがたいうまい人達で、その中から何が、だれが抜きんでていたかという審査であった。
「今日の出場者の中では、Aさんはずば抜けてうまい方だと思いますよ」と正直に答えた。
「ですから、どこがどううまいのでしょうか?」Bさんはなかなか引き下がらず、こだわっているようである。
「Aさんはとてもいい声で、自分に合った楽曲をきちんと表現されています。とくに、前半の語りから、後半サビの盛り上げ方など、まさにプロレベルであり、歌のセンスも素晴らしい」とさらに率直に感じたことをお応えした。しかしまだなかなか納得してくれない。同やら今回の地域で、あっちこっちAさんの常勝が続きみんな少し鼻についていることが気になるようである。「賞金、商品稼ぎ」というニックネームさえあるらしい。
カラオケ大会の多くは、1コーラスだけの限定歌唱で、少ない歌唱時間の中をうまく自己PRに成功した人がいい成績に届くことはそれなりに練習と、うまく聴かせる研究を、準備をしてきたように見える。
ただ、カラオケチャンピオンがすぐさまプロの歌手になれるかと言うと、これもなかなか難しいのが現状である。
私は、カラオケは「想定内音楽」だと思っている。最初から伴奏としてスピーカから鳴る音がわかりきっている。なので、しばしばカラオケ音楽は、音程を保つための音楽で、あとはテンポを保つメトロノームのようでもある。加えてどこから歌い出せばいいのかを「前奏」が教えてくれるわけである。これは、まさしく「想定内音楽」で、歌手はおおむねこれらの伴奏を把握していればいかに自分がうまく聞かせれるかということに必死で、自分の歌だけが命であるくらい「自己中」の歌唱になりがちである。
逆にBさんにたずねてみた。
「Bさんが歌う時にしっかりカラオケの音を聴いていますか?」というと、「おっしゃっている意味が分からないのですが…」と返ってきた。
私が聴いた意味は、その楽曲のカラオケ伴奏音楽をしっかりと聴いて、いろんな楽器の音色や、アレンジの巧みさなどを把握して、それに自分の歌をいかにうまく乗せて溶け込ませるかと言うことが重要だと言いたかった。
つまり、ステージで一生懸命歌ってはいるが、ほとんどバックに流れているカラオケの音楽などはそれほどきちんと聴きとっていない人を見かける。無理もない、いつも聴きなれている伴奏音楽がいつものように流れているわけだから。それほど注意深く伴奏を聴かなくとも「鳴っている音」に合わせるだけである。まるで脇役を無視した主役のように…。でもこれが良くないと思う。
話をAさんに戻そう。酔った勢いも手伝って、小難しい話をしてしまった。
Aさんは歌のうまさはもちろんだが、それ以上にバックのカラオケ音楽がまるで「生演奏」をしているようにうまく溶け込ませる歌を歌っていた。つまり、アレンジの素晴らしいポイントなどをしっかり把握していて、カラオケ音楽と自分の声が一体となっている「音楽性」「ドラマ性」「生演奏みたいなライブ感」を与える歌に仕上がっていた。音楽全体のバランスとプレゼンスをしっかり聴き分けながら歌っているのである。
多くのカラオケ歌手たちは、あまりカラオケ音楽を真剣に聴いていない。無視している人も多い。まさにメトロノーム程度の位置づけしか見ていない人は多い。
カラオケという思いっきり慣れきった伴奏音楽の中で、「余裕のヨッちゃん」で歌うと、ついついカラオケ音楽を無視した、トータル的にドラマのないセンスのない歌い方になりがちであるというお話である。
残念ながらBさんを十分理解させることは出来なかった。