ケンは「CDデビューしないか!」と声をかけられた。さあどうしよう…
「著作権」のこともいっぱい出てきた!
著作権の話をできるだけわかりやすく書いたつもりが、逆に「どんどんわからなくなった!?」というお声が多くなってしまった…。知ったかぶりで書いてしまったためであろう。
一方でいろいろ質問やお便りも増えてきて正直困っている。
一つのトライであるが、著作権に直面して悩み、困っている人を主人公で物語風に書いてみようと思い立った。
【ケン&ミサキの著作権物語】
ある日のことだった。ケンはライブを聴いていた中年の男から「CDデビューしてみない?」と声をかけられた。「えっ?デビューさせてくれるんですか!」二人は思わず飛び上がりそうに興奮した。
ボーカルユニット「ケン&ミサキ」はいつも渋谷のハチ公像のすぐ前でストリートライブを行っている。「ケン」はちょっとハスキーな声だけど深みがあって、意外に伸びる高音が魅力的な歌声で人気がある。
「ミサキ」はちょっと着物が似合いそうなぽっちゃりとした日本風な顔立ちだけど、顔に似合わない低めの声につやがあり二人の歌は絶妙のアンサンブルでわりとお客を集めている方である。
1回40分くらいのストリートミニライブであるが、多い時は2万円くらいギターケースに入る。固定ファンもある程度いるが、ケンは27才、ミサキは26才。はやくバイトのかけもちをやめて音楽1本で飯を食いたいとメジャーを夢見ている。
「いやいや、二人のユニットじゃなくって、ケンさんのソロです…」
「え…っ」
がっかりした表情のミサキと、複雑な表情のケンであった。
そして、数日後プロダクション「パワーミュージック」という事務所に行った。期待していたが、CDはメジャーレーベルではなくいわゆるインディーズで、アーティストのプロモーションとCDの製作販売の両方を行っている会社である。つまり、「アーティストプロダクション」と「レコード会社」と「出版社」すべて行っている会社であった。
事務所とっても、社長一人とアルバイト2人の会社。でも、壁に貼っているポスターや積み上げているCDは見覚えのあるアーティストが確認できた。
(そう悪い話ではないのかも…?)とケンは少し気をよくした。
音田社長は言った。「この間歌っていた『風と君と』。あれいいね。彼女とのデュエットではなく、君のソロでCD化しない?」インディーズでも嬉しかった。
「あの曲誰が詞を作ったの?」「作詞はミサキです。曲は僕が書きました」
「書いたって?楽譜も書けるの?」「いや、作りましたけど譜面は苦手です。メロディとコードはもちろん自分で作りました」
「わかった。ところでうちはインディーズだけど、これでもアーティストたちの著作権や他の権利関係はちゃんとしているんだ。最近はトラブルもいいので、昔のようにいい加減なやり方ではまずいと私は思っているんだ」ケンは(わりとまともでいい人なんだな)と思った。
「ところでこれまでJASRACに入会したり、作品届をしたことある?」ケンは著作権のことを聞いたことはあるがもちろん訳が分からなかった。
「今までになにも無かったのならこうしましょう。まずは、ミサキさんの歌詞と、ケンさんの曲はパワーミュージック預かりにいて、JASRACには事務所から作品届けをしましょう」
「よくわからないのですが、なぜJASRACに作品登録しなくてはならないのですか?」
「いや、登録ではなく委託して著作権料を徴収してもらうための〈作品届け〉です」作詞、作曲をした人は、その作品が世の中に使用されたときにそこから著作権使用料がもらえるという話である。
「自分がJASRACに入って著作権料をもらうのと、事務所を通して手続きするのと何がどう違うのですか?」
「事務所とケンさんが作家契約、つまり〈著作権譲渡契約〉をして、本人に代わって作品登録をします。その内容に応じてJASRACから受け取った著作権料を事務所からケンさんにお支払するという契約です」
「なんとなく自分で直接入った方がいいような気もしてきました」
「いや、JASRACにもある程度入会審査があって、それなりの活躍がないと入会できない場合があります。また、1曲ごとの手数料とは別に入会金と年会費など費用がかかるので、経済的にも少し見通しが出来てからの方がいいんじゃないのかな?」
「なるほど…。いや、よくJASRACに作品管理されている会員になることがメジャーみたいにいう人がいるのでちょっと気になりました」
こうしてケンはパワーミュージック所属となり、音楽作りと共に作家契約もすることになった。
次回、より具体的に話は進む。