世は歌につれ

清志郎・陽水 時代が産み落とした個性派|月刊「FACTA」連載 世は歌につれ/田勢康弘


14.清志郎・陽水 時代が産み落とした個性派

忌野清志郎の墓は中央線高尾駅からほど近い霊園の高台にある。意味もなく霊園を歩くのが私の数少ない趣味のひとつのようになっていて、偶然、見つけた。何となく気になる墓なので3回か4回訪ねたが、ファンが持参したのだろう、いつもたくさんの花に囲まれている。本名栗原清志。忌野清志郎と墨字で大書きした墓碑銘がひときわ目立つ。山の中に埋もれるように佇むと、なぜか清志郎と井上陽水が二人で作った曲「帰れない二人」(作詞作曲井上陽水、忌野清志郎)が頭の中で流れてくる。

思ったよりも夜露は冷たく

二人の声もふるえていました

「僕は君を」と言いかけた時

街の灯が消えました

もう星は帰ろうとしている

帰れない二人を残して

街は静かに眠りを続けて

口ぐせの様な夢を見ている

結んだ手と手のぬくもりだけが

とてもたしかに見えたのに

もう夢は急がされている

帰れない二人を残して

もう星は帰ろうとしている

帰れない二人を残して

まったく売れていなかったころの話である。中野の陽水のアパートでカレーを食べてギターを弾きあった。「最近どんな歌作った?」と陽水。その場で清志郎は「指輪をはめたい」という曲を歌う。「うん、いい曲だね。でも指輪をはめたい、じゃ売れないね」。そこでこのメロディーをそのままにして別の詞をつけることにした。1番が陽水、2番が清志郎でできたのがこの歌。声も歌い方もまったく違う2人が、どこにも力が入っていない、何も訴えようとしないこの歌を作った。ここにこの二人のアーティストとしての本質があると思う。清志郎を評して陽水は「ほんとにあいつはいい奴です、と言える人」と語っている。人間としての清志郎の姿は、画家としての作品に現れている。何よりも化粧しなければ舞台に立てなかったほどのシャイな人間なのである。

清志郎が58歳で亡くなったとき、告別式の行われた青山葬儀所の周りには3万5千人ものフアンが集まりさながら大掛かりなロックのイベントのようだった。映像で何度も見たが、集まったファンはほとんど全員、号泣している。俳優竹中直人は弔辞で張り裂けんばかりの声で「清志郎さ~ん」と泣き叫んだ。キング・オブ・ロックとまで呼ばれたロックのカリスマが、ここまで人々の心に食い込んでいたとは。

清志郎との出合いのころ陽水はアンドレ・カンドレという芸名で「カンドレ・マンドレ」などという奇妙な歌を歌っていた。芸名は何でも韓国語の「ベロンベロン(に酔う)」というような意味らしい。歯科医の父親の後を継ごうと歯科大を受験したが3度失敗したからいまの陽水がある。陽水の最初のレコードアルバム「氷の世界」は100万枚を超えた。そこには「帰れない二人」も入っているし、ジャケットはギターを持った陽水だが、そのギターは清志郎のものだという。清志郎が東京都立日野高校に通っていた頃、母親が朝日新聞の身の上相談に投書し、息子が勉強しないでギターばっかり弾いていて将来が心配だと相談している。それに羽仁説子・進母子が回答している。もしきちんと勉強していれば、おそらく絵の大学に進み、美術の先生になっていたのではないか。

二人とも日本を代表する個性的な音楽家になったが、清志郎は「初めて生で歌を聴いたとき、音痴だなと思った」(ビートたけし)と思われるぐらい変わった声だったし、アンドレ・カンドレ時代の陽水も意味不明な歌を歌っているという印象だった。陽水がブレイクしたのは「氷の世界」(作詞作曲井上陽水)からである。

窓の外ではリンゴ売り

声をからしてリンゴ売り

きっと誰かがふざけて

リンゴ売りのまねをしているだけなんだろ

僕のTVは寒さで画期的な色になり

とても醜いあの娘を

グッと魅力的な娘にしてすぐ消えた

今年の寒さは記録的なもの

こごえてしまうよ

毎日吹雪吹雪氷の世界

続く2番は「誰か指切りしようよ 僕と指切りしようよ」で始まる。私もこのレコードを買ったが、なんとも不思議な歌詞である。およそメロディにのせるのにふさわしくないとおもわれるような言葉が陽水の歌にはたくさん出てくる。「小春おばさん」などという不思議な歌もいまだに人気があるし、「あかずの踏切り」などという歌もある。清志郎の人気曲「雨あがりの夜空に」も「この雨にやられてエンジンいかれてしまった オイラのポンコツ とうとうつぶれちまった」と故障がちの車を嘆いている歌で、そこには女の子も恋も出てこない。

歌詞といえるかどうかと思わされるほど不思議な詞が魅力を持つのは、二人の独得の声にあると思う。清志郎は哀愁、陽水はだれも真似できないような“光る”声。それにしても清志郎の死は残念だ。清志郎の歌は「ロックであり、フォークソングであり、ニューミュージックであり、歌謡曲でもあった」(坂本龍一)。昭和40年代後半の学生運動華やかなりし頃、フォークソングから出発した二人。レコード会社が育てた歌手ではなく、地べたから這い上がるようにして時代によって育てられた二人。コロナ禍で音楽家も苦境に立たされているいま、清志郎、陽水らともまったく違う強烈な個性のアーティストが出てきてほしい。

※月刊「FACTA」2021年3月号より転載
FACTA online→ https://facta.co.jp/

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